新潟教育

新潟市の教育を教職員の組合活動を通して考えていきます。 中の人は複数。関心もそれぞれ。多彩な内容を目指して。

授業の形式主義的スキル化

 新潟県内の公開授業を参観すると秋田県方式で「学習課題」と「まとめ」を定番のようにやっています。その上、学び合いが大切だと授業中に子どもの話し合いを取り入れるのです。しかし、すべての授業でこれをしようとするせいで、授業そのものが硬直化してしまう場合があります。きっと、授業者は面白くないだろうと授業を見ていて思ってしまいます。授業は子どもだけでなく、授業者も面白くないと成立しません。
 授業は生き物です。目の前にいる子どもの実態に応じて、どのような授業をするかを決めるが大事なのです。それを公式化して授業をすること自体、おかしいといえます。方法論を固定化すると、授業自体の内容論は後景に追いやられます。子どもの実態と教材をいかに架け橋で結ぶかが授業論の本質でしょう。
 この憂うべき状況は日本全国に蔓延しています。愛知教育大学の子安潤(教育方法学)さんは以下のように意見を述べています。

 形式主義的スキル化とパータン化に内容の国家主義化
 10月も終わりなのでこのところ所感。

 一つ目の悪流。
 このところ、授業の進行のワンパターン化がひどい。
例えば、問題提示から課題の設定、問題の追及、発表と討論からまとめ。そんな進行をどの教科でもどの時間でも進める。ユニバーサル・デザインなんて言って画一化に拍車をかけている人たちもいる。これを授業のスタンダード化と名づける。新自由主義がもたらした競争主義の形態の一つである説明責任論に対する学校的応答の一つだと見ている。

 二つ目の悪流。
 授業で教えるポイントを形式的に捉えられたスキルに力点を置く傾向が顕著だ。ジェネリック・スキルなどと言う例のあれだ。その多くが「21世紀型スキル」に引っかけるのがトレンドになりだした。関連本が出版されだしたこと、中教審の議論に使われるようになったためだ。思考力と判断力の養成が突出して語られ出した。企業の将来人材の不安から持ち出された単純化された能力論だ。

 三つ目の悪流。
 教科内容・教育内容についてはひどく貧困化している。
明らかに、教科内容や教育内容を考えない。いや正確には、決まったものとして改めて検討しない姿勢を根底に置いている。その置かれた中身は、道徳そして社会科や国語科を中心にひどく国家主義的な把握となっている。教科書記述以上に国家主義的で一方的な内容把握を教え込もうとする授業の普及に腐心している。
 政治万能論に陥って自分だけ癒やされたい論理しか理解しない。奇妙かもしれないが、自分中心国家主義とでもいうような政治グループ・権力の影響だと私は見ている。

 だから、今の本当のトレンドは、形式主義的授業のパターン化に染まらない授業・教育をつくること。
 形式主義的スキル化といった軽薄な内容把握を越える学びをつくること。一方的で国家主義的教科内容を公正と事実と学問に基づくものに組み換えること。
 以上の三つだ。


 子安さんは新潟でも流行している授業を「形式主義的スキル化」で「軽薄な内容把握」と指摘しています。多くの授業をこの間、新潟で参観していて納得してしまいます。
 一番の被害者は子どもです。楽しくわかる授業を待ち望んでいます。形式主義的スキル化と軽薄な内容に子どもも授業者もうんざりしています。
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コメント

方法のための授業を考えるのにうんざり。
そんな事より、Aさんはちゃんと朝ごはんを食べてきたのかな、Bさんは今日、学校来れるのかななど、授業以前の事で頭を痛めています。
管理職(教育委員会)と現場教員との感覚のズレを感じますね。

  • 2014/11/05(水) 19:45:31 |
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